5 バッハのお弟子さんたち


 バッハを慕って弟子になった人は少なくなかったようです。その人数は現在でもはっきりとはわかっていないようですが,80人くらいはいたらしいです。しかし作曲家として今日まで名を残した人は多くありません。今日,演奏会や録音で取り上げられる機会は(日本では)ほとんどないと言っていいくらいです。では,それらが皆出来の悪い魅力のない作品かというと,決してそんなことはないと思います。これは個人的感想ですが,あまりにも偉大な師匠の影に隠れてしまいがちなこと,そして音楽の趣味の過渡期にあってバッハから学んだ音楽がやや後ろ向きの作風に見られ,結果として先の時代を開いていった人たちの影にも隠れてしまったということのように思われます。

 「バッハ辞典」(音楽之友社刊)にバッハの弟子として名前の記載してある人物は以下のとおりでした。30人近い名前が挙げてありますが,今日その作品を耳にできるのはごく一部でしかありません。
 (なお,この「バッハ辞典」では「弟子」の項にはアルトニコルやアグリコーラなどの重要な人物の名前が欠落しています。おかげで全ての項目を検索するハメとなりました。)

 まとまった録音がCDで手に入るのはクレープス・ゴルトベルク・ミューテル・ホミリウスくらいのもので,あとは1〜2曲ずつ埋め草的にぱらぱらとあちこちのCDに散在している程度のものです。このコーナーは作曲者別に分けたため,あちこちのコーナーで同じCDが出て来ます。また,LPも登場します。


録音のある人のみリンクで紹介します。

お名前 プロフィールなど
アイニケ(ゲオルク=フリードリヒ)1710-1770 フランケンハウゼンのカントル。バッハが死の直前,最後に書簡を交わした。
アグリコーラ(ヨハン=フリードリヒ)1720-1774 1738年から1741年までラプツィヒ大学在学中にバッハに学んだ。楽譜の筆写を手伝い,通奏低音奏者としても活躍した。1741年にベルリンに移り,クヴァンツに師事。1759年にはベルリンオペラの音楽監督となった。
アルトニコル(ヨハン=クリストフ) 2002/2/9 更新
ヴァーグナー(ゲオルク=ゴットフリート)  
ヴィルト(フリードリヒ=ゴットリープ)
ヴェッカー(クリストフ=ゴットロープ)1700?-1774 フリーダースドルフのオルガニストの息子として生まれた。1723年にライプツィヒ大学に入学し,バッハに師事した。1727年にケムニッツのヤコビ教会のカントルに就任。1729年にシュヴァイドニツの三位一体教会のカントルに就任。
キッテル(ヨハン=クリスティアン)  
キルンベルガー(ヨハン=フィーリプ)  
クレープス(ヨハント=ビアス)1690-1762 ヨハン=ルートヴィヒ(↓)の父親。ワイマールでバッハとヴァルターに師事した。
クレープス(ヨハン=ルートヴィヒ)  
グレープナー(クリスティアン=ハインリヒ)
ケルナー(ヨハン=ペーター)  
ゲルバー(ハインリヒ=ニコラウス)1702-1775 ライプツィヒでバッハに師事。ゾンダースハウゼンの宮廷オルガニストとなった。彼の息子は膨大な資料を集め,音楽事典を編纂した。この中でバッハの授業の様子が述べられている。
ゲルラッハ(ヨハン=カール=ゴットヘルフ)1704-1761 カルビッツで生まれた。1716年にトマス学校入学。1727年にライプツィヒ大学入学。証拠は残っていないがバッハに師事したらしい。1729年にライプツィヒの新教会のカントルに就任。バッハは旅行の際に彼に留守を任せることもあったようだ。彼の作品は残っていない。
ゴルトベルク(ヨハン=ゴットリープ) 2003/11/1 更新
シェメッリ(クリスティアン=フリードリヒ)1713-1761 ツァイツのカントル,ゲオルク=クリスティアンの息子。ライプツィヒ大学在学中に1731年〜34年の間バッハに師事。シェメッリ歌曲集は彼の取りなしにより,バッハと彼の父とが協力して編纂・出版したもの。
シューバルト(ヨハン=マルティン)1690-1721 ヴァイマールで1707年から1717年までバッハに師事。バッハの後任として宮廷オルガニストに就任したが,僅か4年で病死した。
シュープラー(ヨハン=ゲオルク)  
シュトラウベ(ルドルフ)
ツィーグラー(ヨハン=ゴットヒルフ)
ドーレス(ヨハン=フリードリヒ)  
ニッヒェルマン(クリストフ) 2001/11/4 up
フォーグラー(ヨハン=カスパル)  
プレッラー(ヨハン=ゴットリープ)1727-1786 バッハとの師弟関係は確証がない。1750年からイェーナで学び,1753年からドルトムントでカントル兼測量士として活躍した。メンペルと協力して「メンペル=プレッラー手稿譜集」を残しており,この中に70曲ほどのバッハの作品が含まれている。
フロイデンベルク(ジークムント)
ホミリウス(ゴットフリート=アウグスト)  
ミツラー(ローレンツ=クリストフ)1711-1778 ライプツィヒ大学教授。数学者で,音楽評論も行った。1738年に音楽学教会を設立。バッハはその14番目の会員となった。その後エアフルト大学で医学を学び,ワルシャワで宮廷医となった。バッハとは1720年代半ば頃からおつきあいがあったという。
ミューテル(ヨハン=ゴットフリート) 2003/11/1 更新
メンペル(ヨハン=ニコラウス) バッハとの師弟関係は確証がない。1740年からアポルダのカントルを務める。プレッラーと協力して「メンペル=プレッラー手稿譜集」を残した。


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